大阪学院大学 外国語学部ホームページ
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中村 文哉 ― 留学プログラム前のヨーロッパ旅行 ―

  心の中にぼんやりとあった「留学」。私はかねてからヨーロッパに留学したかったので、大学1年次はTOEICの基準スコアをクリアするための勉強に勤しんだ。それを無事クリアし留学先が決まった。ドイツのマインツ専門大学。私は自分の英語力でどこまで戦えるかを知るために、現地の学生と授業を受けることができる正規科目を履修した。


  私の夢であった海外留学はすこし変わった始まりだった。母の知り合いがドイツで15年暮らしているので、頼んで留学プログラムの始まる1か月前からホームステイさせてもらうことにした。この1か月を使って、ドイツで生活するためのノウハウを学ぶとともに、ヨーロッパの各地を旅行しようと考えていた。不安と期待を胸に、ホームステイ先である「カールスルーエ」に降り立った。


  留学生活2日目、私はドイツの「ハイデルベルク」に行った。理由は比較的近かったのと、古城、ハイデルベルク城を見に行きたかったからだ。美しく、歴史的で、当時の日本ではまねできなかった建造物は、写真では捉えることができず、私は感銘を受け、魅了された。この「巨大な古城」の屋上からは、ハイデルベルクの古い街並みを一望すること

ができた。次の日から立て続けにフランスの「パリ」、「コルマール」、「ストラウスブルク」、スイスの「チューリッヒ」、ドイツの「ケルン」に行き、必ず行きたかった「ノイシュバンシュタイン城」、「ホーエンツォレルン城」を見物した。そして、留学プログラムが始まる前日にドイツの首都である「ベルリン」に行った。


  私が最後の旅行先を「ベルリン」に選んだのには理由があった。それは、この国で一番悲惨で忘れてはならない歴史を持っているからだ。戦争、独裁、迫害、抑圧、障壁、すべてを感じることのできる街、「ベルリン」。そのすべてを自分の肌で感じ、考え、学んでから留学に臨みたかったか

らだ。ベルリンの壁、ヒトラーの本部、ホロコースト慰霊碑、そのすべては写真や画面からでは伝わらない何かが確かにあり、私自身に問いかけてきた。私は生涯で「ベルリン」を訪れることができてよかったと改めて思った。

  私が見て、感じた場所全てが経験となり、生きる原動力になり、私の体の中でこれからも生きていくと確信している。私が訪れた場所全てには、それぞれの特徴、個性があり、歴史がある。それは日本では決してわからないもので、自分でそこへ出向き、自分の五感を使って感じ取るものだと思う。その感じ取ったものは、現段階の私のものであり、この先何年後かに訪れるとまた違った発見があるかもしれない。留学を通じて、人間にとって必要なことを学んだような気がした。


  時の流れは早いもので、私の留学生活は残り1か月。私の夢見た留学生活を有意義なものにするために、後悔のないよう過ごさなければならない。日本に帰国したときには、「私らしい留学生活を送れた。」と思えるように残りの日々を邁進していきたい。



                                         2019年1月(2017年度生)